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ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督について

 福原です。

 今後、このブログで"性"という観点に絞り、さまざまな映画のレビューや考察などを書くにあたり、まず自分がこのように性というものに強い興味を持つきっかけとなった、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督について書きたいと思います。

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 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督は1960年代後半から、薬物の過剰摂取で急死する1982年まで活躍した、ドイツの映画監督です。

 ファスビンダー監督が活躍した時代は、1960年代にフランスで起きた"ヌーヴェル・ヴァーグ"という映画の世界での大きなムーブメントに影響を受ける形で、前衛的であったり、作家性の強い作風の映画が多く生まれました。現在の日本では、"ニュー・ジャーマン・シネマ"と呼ばれたりしています。

 ファスビンダー監督は、そのニュー・ジャーマン・シネマを代表する映画監督の一人でした。作品の多くが、暴力性をテーマにしていて、またその描き方も極めて独特で、常に「愛」と呼ばれるであろうものの裏返しの存在として、「暴力」を描いていました。

 

 僕が、ファスビンダー監督の作品に初めて衝撃を受けたのは、1973年に作られた『マルタ』という映画です。

 この映画の主人公・マルタは、保守的な父親に育てられ、30歳を過ぎてもなお、男性と恋愛することすら許されていませんでした。そこで抑圧された内なる性的欲求は、自分でも知らないうちに、バーにいた赤の他人の男性や、父の体を触ったりすることに知らないうちに向けられていました。その父との海外旅行中、突如として父が急死してしまいます。そのことを母に連絡する為に大使館に来たマルタは、ある男性に一目惚れをします。その男性・ヘルムートと再会したマルタは、あっという間に恋に落ち、すぐさま結婚します。しかし、結婚生活をはじめると、ヘルムートが愛情として自分に向けているものが、極めて暴力的であることをマルタは知ることになります。

 噛み合わない互の愛の形に悶え苦しむという男女の姿を通して、"結婚"というものを社会制度として批判的に捉えたこの作品は、僕にとってとても衝撃的でした。ファスビンダー監督は他にも『ローラ』等の作品でも結婚制度を皮肉っていたり、『ペドラ・フォン・カントの苦い涙』では同性愛者の主人公を、『不安は魂を食い尽くす』では白人の老婆と移民の若者という二人の恋愛をそれぞれ取り上げることで、人の愛のあり方と、それを取り巻く社会、そしてそれぞれに潜む暴力性を克明に描いています。

 しかもそれらを、コミカル(僕が『マルタ』を観た時には、会場内では度々笑いが起きていました。)かつシニカルで、なおかつグロテスクに描ききるというファスビンダー監督の独特の感性には、すっかり惹きつけられてしまいました。それと同時に、"性"あるいは"性愛"というものが、自分が思っている以上に、人間にとって非常に切実なものであるということにも気づかされました。


MARTHA (1974) - 720° - YouTube

(あらすじにも書いた、大使館前での一目惚れのシーンです。『マルタ』の他のシーンや、それ以外の作品も、この様な奇妙な演出方法が多く出てきます。)

 

 また、作品だけにとどまらず、ファスビンダー監督本人もスキャンダラスな言動を好む人物でした。実は『マルタ』も、このような内容にもかかわらずテレビ映画として制作されたもので、放映後にテレビ局に苦情が殺到したという報せを聞き、大変嬉しそうにしていたと言われています。僕が『マルタ』を初めて観た時、日本国内のファスビンダー研究の第一人者である渋谷哲也さんのトークも行われ、そこで取り上げられていたのですが、その彼が遺した言動の中でも、特に印象の強いものがあります。

 あるインタビューで、ファスビンダー監督は終始、インタビュアーに対して挑発的な態度をとっていたそうです。そこでインタビュアーが苛立ちを込めながら

 「あなたは、女性が解放される日が来ると思いますか?」

 と聞いたところ

 「女性の解放?女以上に男の方が抑圧を受けているんだ。女が解放されるには男も解放しなきゃ。」

 と答えたそうです。

 

 僕が性に対して興味を持つのは、挑発的でありながら高い知性を持ち合わせていた、ファスビンダー監督の感覚に迫りたいという欲求や、憧れから来るところでもあるし、同時にひとりの男性でもある自分自身の解放を望んでいることの現れであるとも思っています。大人部の活動を通して、性に対する自分自身の知識を深めていくと同時に、この様な映画の魅力も伝えることが出来ればと思っています。