女体盛り体験記
悠です。
今日はとあるプロジェクトのため、身体を張ってきました。
なにをしたかって?
女体盛りです。
そう、盛られる役で。
2月頭のこの寒い時期に。
それはもう。寒くて寒くて死にそうでした。
思えば、初めて盛られてから早2年弱。
まずは自らのアート作品のため器に扮し、
また別の現場では、友人に盛りつけられた寿司に舌鼓をうち、
外国人が大半を占める六本木の某ナイトクラブで再び盛られ、
そして最近は、あるプロジェクトにて“女体盛られ師”としてのキャリアを積む日々・・・
女体盛りを、こんなにもあらゆる立場から経験している人物は(私の周辺を除けば)、他にはいないんじゃないかしら。
というわけで、女体を盛った・盛られた・食べた・食べられた貴重な体験から感じたことを、ここに記しておきたいと思います。
↑2年前、初めての女体盛り。
昨今、女体盛りは日本の代表的なエロティック文化として、色々な場面で引き合いに出されます。映画やアートのなかで美しく華やかに描かれることも多いです。
では、そもそも女体盛りのエロスとはどんなところに潜んでいるのでしょうか。
私の経験則から語ってみたいと思います!
女体盛りのエロス。
それは、“器”に扮するというロールプレイングの中にあると思います。
料理人が“器”である人の身体に盛りつけるのは、単純に食べ物ではありません。
食に対する美意識そのものです。
盛りつけは、食という野蛮なものを高尚なエンターテインメントに変容させる魔法の工程です。
その秘密を料理人と“器”との間で共有する。
この共謀関係が、とてもエロティックだと思いませんか?
料理人の繊細な指さばき、配慮、こだわり、、、
そこから感じ取れるのは、肉体への接触による即物的な刺激だけではないのです。
また、この共謀関係は、食べる人・見る人の存在によってより際立つのです。
あとは身動きができないという肉体的な苦痛を、精神的充足に結びつけるM的な心構えさえあれば、女体盛りの“器”役もなかなか味わい深いものです!(笑)
いや、それにしても、いくらエアコンの効いた室内とはいえ、ほぼ裸で寝転がり続けるのはキツい・・・。
できれば暖かい時期にやりたいのが本音です(・ω・;)
指先が冷えきって本当に魂が抜けるかと思いました。
ちょっと横道に逸れますが、
バタイユの
「エロティシズムとは、死におけるまで生を称えることだ」
という言葉を、「自己の個体性の破れを感じながら外部へと開けることだ」と解釈すると、
“器”に扮し盛られることも、その近似体験でもあるのかな、、、
なんてことも考えたりするのです。
さて、近日その女体盛りプロジェクトの詳細が明らかになると思うので、是非続報をお待ち下さい。
↑六本木某ナイトクラブにて
悠レイカ